「べき」はかたい?やわらかい? 1


みなさんは、

「すべき/すべきでない」ことを

どれくらい意識していますか?


身近なところでは、

「母親は子育てするべき」

「父親はお金を稼いで家族を養うべき」

という、

暗黙のうちにすべき/すべきでないと思っていることがあります。


「恋愛と役割についてかんがえる」の回で触れた

「すべきこと」を

しゃかいがくでは、「規範」といいます。


どういう意味かというと、


「規範とは、

 適切な行為についての期待であって、

  それは社会的行為の共通の指針として作用する」


  (N. アバークロンビー他、丸山哲央訳2005『新版新しい世紀の社会学中辞典』

   ミネルヴァ書房、P.285)


わたしたちが、それぞれの意志でばらばらに行動しているように見えても、

例えば、

道を歩いているとき、

赤信号では車が止まることを期待して、それが守られているから、

交差点を安心して歩けることを、

わたしたちは知っています。


社会が秩序を保っているのは、

こうした共通の指針である「規範」があるから。


このように、

規範には、

法的に罰則が定められてるようなものもあれば、


慣習のように、

あらためて説明することはなくても、

なぜか、その社会で、

みんなが共有しているものもあります。


慣習って、絶対、ではないから、

すべきだけど、しなくてもよいもの、

と捉えることもできますよね。


そう考えると、

「べき」って、

押せば形がかわる粘土のような、

やわらかいもの、

のようにも思えます。


が、

はたして、

ほんとうに「べき」は、

やわらかいのでしょうか?


次回に続く

photo by Kate Romeo @pexels

日々のくらしとしゃかいがく

食べる、寝る、働く、遊ぶ、育てる、集まる、語る、見る、読む・・・ 日々のくらしのなかにある「しゃかいがく」の知をお伝えします。 profile pic by philipp-torres @unsplash

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