入学式は、入学を祝うわけではない 2
R.K.マートンは、
ホピ族の調査をしたとき、
行為には、
目に見える機能と
目に見えない機能がある、
ということに気づきます。
雨乞いの儀式の目に見える目的は、
「雨を降らす」
ことですよね。
もちろん、
近代的な科学の素養を身につけていると、
祈って雨が降るなんてありえない、
と思うでしょう。
マートンは、
このとき、
意味のないことをしてるようだけど、
雨を降らすこと以外にも
この儀式が役に立っていることを
見抜くのです。
photo by Vadim Bogulov @ unsplash
すなわち、
かくれた機能として、
部族のみんなで儀式を行うことで、
「同じ部族の仲間として、
いっしょに祈る」
という行為が、連帯意識を強めることを
発見したんですね。
これって、
わたしたちの目からみても
すごく合理的。
こんなふうに、
マートンは、
かくれた機能に注目することで、
雨乞いの儀式に隠された機能を
説明したんですね。
ということで、
どんなものごとにも、
目に見える機能(難しくいうと顕在的機能)と同時に、
目に見えない機能(潜在的機能)
それも、もしかすると、まったく予想だにしなかった機能が、
かくれている(かも)しれないんですよね。
とすると、
入学式の目に見える機能は、
「学生の入学をお祝いする」ことかもしれませんが、
目に見えない機能は・・・?
→次回に続く!
0コメント