都会の作法が示すこと 3
電車内や駅では、
いろんな場面を見ますよね。
今でも覚えているのは、
駅のホームでの出来事。
5歳くらいの子どもが、
お母さんにずっとなじられていました。
Illustrated by サウナ猫@AC-illust
「あの時、こういえばよかったでしょ!
こんな風に言うなんてありえない!
なんで、こうできなかったの!」
それに対して、子どもは
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
とずっと涙声で謝っていました。
ううう、思い出しても胸が痛い(;_:)
服装や話の内容から、
きっとお受験の面接の後とかだったのかな~~
きっと一世一代の面接で失敗しちゃったんだな~~
って思ったけど、
子どもにはほんとにつらいことで、
このとき、
とっさにわって入れればよかったけど、できなかった。
他人があいだに入ることで、
怒りをやわらげられたんじゃないか・・・
とか、
その場を離れてからも、
ぐるぐる考えてしまいました。
そのときのわたしは、
儀礼的無関心に傾いてしまったのです・・・(´;ω;`)ウゥゥ
この「とっさにわって入る」とか、
思いがけず体が動いて誰かを助けることを
中島岳志さんは、
『おもいがけず利他』(ミシマ社)で、
「利他」といっています。
「利他」の動きが、
習慣になってしまった儀礼的無関心に
さえぎられてしまった、
という感じでしょうか。
他にも、
子どもが泣いてしまい「迷惑かけてごめんなさい」
という気持ちになっている親御さんや、
体の動きがゆっくりになり時間がかかる高齢の方や、
障がいを持つ方の振る舞いや、
そうしたことに対して、
儀礼的無関心が適切なこともあれば、
「たいへんですねぇ、お手伝いします」
と一時的に関心を向けることがあれば、
もっと公共空間も穏やかになるのでは・・・
と、
思うんですよね~~
→ 次回に続く
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