父のカレンダーと反証可能性


みなさん、嫌いな家事は何ですか?


わたしは掃除が大嫌いです。

1人暮らしの時は、

ベッドの下に高さ10センチのホコリを放置していたくらい

(母が来た時に、ソッコーで掃除してた)

キライです。


だけど、ほこりとか汚れとかに気が付いてしまう。


窓の桟にたまった汚れや

ポツポツとみえる黒いカビのような斑点から、

目に見えないカビの存在が襲い掛かってくるように感じて、

「見ないフリ、見ないフリ」と唱えながら、

でも、

気になる、

でも、

掃除はしたくない、

カビが蔓延る妄想に勝手に押しつぶされそうになり、

「うわーー!!!!!」

ってなって

思い切りよく掃除しない自分を、

「ダメだ、ダメ人間だ」

と追い詰める。


ということを、

すでに数年続けているくらい、

掃除がキライです。

(掃除したほうが精神的にもよっぽどいいのに)


ですが、父は違いました。

母もきれい好きでしたが、

父はすさまじかった。

母が亡くなった後、一人暮らしになった父。

よくある話では、

掃除も料理もしないで部屋の中ぐちゃぐちゃよ・・・

という子どもたちのため息だが、

父は違った。


板の間は雑巾で拭き掃除、

畳は毎日クイックルワイパー(何回も)、

部屋の天井まで拭き掃除して、

「こんなにきれいになった!」

と自慢。


台所でちょっとでも水滴を落とそうものなら、

「あーあー!!ちゃんと拭かんかね!!」

掃除機をかけると、

「なんでそねーに、丸くかけるんかね!!

 端までちゃんとかけなさい!!」(←山口弁)


カレンダーには、毎日どこを掃除したかを記録し、

家はいつもピカピカだった。

(うーん、家事のスキルって遺伝しないんだなぁ)


Illustrated by きなこもち@AC-illust


で、なぜこんな話をするかというと、

わりとよく友だちとの雑談などで

「男は家事ができないからしょうがない」

と話されていることに、

もやもやしているからなのです。


「男は家事ができない」言説に対して、

私はいつも父を思い浮かべ、


「父という反証を知ってるから、

 「男は家事出来ない」は断言できないし、

 それって男性に本質的なものでもないんよね・・・」


と思ってしまうのです。


反証とは、

例えば、

「男は家事ができない」という説に対して、

「いやいや、そんなことないじゃん?やってる人いるよ!」

と言えること。

つまり、反対の証拠ってことね。



そして、

この反証する可能性=反証可能性があることが、

「科学的」であることだと、

科学哲学者のカール・ポパーさんが指摘したのです。


「男は家事ができない」

には、

たくさんの反証がありますよね?

コックさんもクリーニング屋さんもお掃除屋さんも

男性が作業してますよ。


より正確にいうなら

「男は(賃金が発生しない)家事ができない」

でしょうか?


でも、

最近は、

お弁当男子やきれい好き男子もいるし、

反証はぞくぞくと報告されてます。


だとすると、

「男は家事ができない」

という語り口は、

科学的じゃないってことよね。


もし、

男性自身が、この言葉を盾に家事を逃れようとしたときには、

「反証可能性と科学の関係」

を思い起こしてみると、

この言葉に飲み込まれずに済むかもしれません。


余談ですが、

こうした科学と反証可能性について興味をもたれたら、

ぜひ、こちらのコミックスをお勧めします!

チ。ー地球の運動についてー









日々のくらしとしゃかいがく

食べる、寝る、働く、遊ぶ、育てる、集まる、旅する、語る、見る、読む・・・ 日々くらす中で感じるいろんなことに「しゃかいがく」を交えながらもやもやと考え惑う      Life Log Sociology です。                 profile pic by philipp-torres @unsplash

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