『劇場版 PSYCHO-PASS』に泣く


いきなりですみません、

わたくし、実はファン歴40年のアニメ好きです。


わたしが小中学生の頃は、

アニメファン=キモイ、ヘン、関わらない方が無難、

というイメージでしたが、

今ではすっかりクールジャパンの中心、

世界に誇る文化になりましたね。


さて、

先日、大学生の子どもと一緒に

『劇場版 PSYCHO-PASS  PROVIDENCE』

を鑑賞いたしました。


※ネタバレありますので鑑賞後にお読みください!

結論から申し上げますと、

大号泣でした^^;


「罪である/でない」を判断する思考を

システムに依存することで放棄し、

安寧の中で生きていこうとする人たちに対し、


「罪である/でない」の境界線を議論によって決定し、

つねに

その妥当性を議論によって探るというプロセスを

捨ててはならない、

と主張する常守朱(主人公)のすごさに、

泣きました。


そして、

気が付きました。


わたしはずっと、安定している=静止している=安心した生活と

思っていました。


議論するということは、

当然、異なる意見があり、

それらをどう調停し、

弁証法的に(一時的にせよ)結論にたどりつく

という手間のかかるプロセスがあります。


そんなプロセスがない方が、

すなわち、

何も考えなくても安心して暮らせるほうが幸せなのでは?

と、

思っていたのです。


例えば、夫婦の関係も、

議論などない関係こそが、

理想だと思っていました。


でも、

そうじゃないんだ!!


議論し続けること、

安寧のうちに思考を止めないこと、

議論し考えるプロセスを手放さないで!!


というメッセージに、

心が震えました・・・!!


(でも、

 最終的には、

 議論ではなく暴力を使ってしまうという点で、

 もしかして、

 こうあってほしい理想と

 理想を実現するためには手を汚さねばならない現実とのギャップ、

 誠実な主張が正統性を獲得することの困難さ

 などなど、

 そんなこともないまぜになっての涙だったのかも・・・)



社会学的には、


壮大な監視社会(@フーコー)と

自由からの逃走(@フロム)、

複雑性の縮減(@ルーマン)など、


いろんな観点から読み解けそう・・・


さらに、

本作での「法」は、

制度化され明文化された法律などの法を意味しているのだと思いますが、

それ以外にも、

明文化されない慣習、規範、合意などなどの


「生ける法」(@エールリヒ)


もありますよね。


な~んてことも考えることのできる本作、

社会学に関心のある方には

ぜひお勧めです!!


日々のくらしとしゃかいがく

食べる、寝る、働く、遊ぶ、育てる、集まる、語る、見る、読む・・・ 日々のくらしのなかにある「しゃかいがく」の知をお伝えします。 profile pic by philipp-torres @unsplash

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